インポッシブル

インポッシブル “The Impossible”

監督:フアン・アントニオ・バヨナ

出演:ナオミ・ワッツ、ユアン・マクレガー、ジェラルディン・チャップリン、
   トム・ホランド、サミュエル・ジョスリン、オークリー・ペンダーガスト

評価:★★★




 覚悟はしていたものの、津波が押し寄せる冒頭を皮切りに、辛い場面が続く。被災者でもないのに、まるでそこに放り込まれたかのような錯覚に陥る。2004年12月26日、タイのカオラック。地鳴りが聞こえた方向に顔を向けると、アッという間に襲い来る濁流。椰子の木も車も家屋も迷いなく押し潰していく。自然の脅威を目の前にした人間にできることは何もない。流れに呑まれたら最後、漂流物に衝突し、地面に叩きつけられ、水の上に這い出ることさえ難しい。視覚効果が創り出した津波の生々しいこと!

 …と言っても『インポッシブル』は、津波に襲われて逃げ惑う人々を描いたパニック映画なんかではない。津波に何もかもを奪われるという絶望下に咲いた小さな花を掬い上げた映画だ。それでも人は生き続ける。重要なのは作り手が、本当の現場にはもっと悲惨な風景が広がっているということを承知しているということだ。その上でフアン・アントニオ・バヨナ監督は、人間の可能性や力強さを讃えている。現実より甘いなどという批判は貧しい物の見方だ。

 したがって、ここには善人しか出てこない。荒野と化したビーチタウンは本来なら泥棒で溢れてもおかしくないだろうし、自分を最優先にしか考えない利己的な者だって少なくないだろう。生き延びるためには他人の命を犠牲にすることも厭わないかもしれない。そういった人間のマイナス部分は意識的に排除されている。ここで描かれるのは奇麗事かもしれないと認めつつ、それでも生きることを選ぶ人々の頼もしさだ。それを信じたい。物語に祈りの精神が流れている。離れ離れになった五人家族の物語でありながら、彼らの物語は彼らだけのものではない。

 母を演じるナオミ・ワッツは生命力を体現する。太い枝に突き刺された足から出血が止まらず、全身傷だらけ痛みだらけ。時間が経つにつれ身体が弱っていく女の、それでも生を諦めない姿。傍らにいる長男を気にかけ、行方知れずの夫と次男・三男を想い、そして自らの身体と戦いを強いられる。こんな状況下でありながら、他人への慈しみを忘れない眼差しに胸打たれる。

 父に扮したユアン・マクレガーは決して希望を見失わない。荒涼たる景色を眺めれば、行方不明の妻と長男が生きている可能性は低い。次男と三男の面倒も看なければならない。自分の身体もぼろぼろだ。それにも関わらず、彼はあてもない捜索を続ける。同じ被災者たちから差し出される優しさを燃料に、消えかかった希望の火を守り続ける。

 最も印象的なのは、母と被災する長男だ。生意気盛りの男の子が未曾有の災害に直面、心も身体も痛めながら、急激な変身を見せていく。自分が生き延びなければならない。負傷した母を守らなければならない。行方不明の父や弟たちも気にかかる。母の言葉にじっくり耳を傾けながら、その魂を受け継ぎ、彼は精神的に大人にならなければない。清々しい顔のトム・ホランドが心のこもった演技を見せる。

 バヨナは家族へ敬意を表しながら物語を語るものの、それでもなお、装飾が煩く感じられる部分は残っている。悲壮な音楽の流し方や「良い話」の羅列。父親と次男・三男の生死の詳細を焦らすところや、登場人物たちのサディスティックな追い込み。遂に再会を果たす場面での擦れ違い演出もメロドラマ的であまり感心しない。

 ジェラルディン・チャップリンが顔を見せる場面が心に残る。星が好きな次男が、おそらく同じ被災者であろう老婆と共に夜の空を見上げる場面。こんな悲劇的な出来事があったのに、星は変わらずに瞬いている。言葉の少ない老婆と次男との間に、言葉にできない何かが流れている。





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