ゼロ・ダーク・サーティ

ゼロ・ダーク・サーティ “Zero Dark Thirty”

監督:キャスリン・ビグロー

出演:ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガートン、
   ジェニファー・イーリー、マーク・ストロング、カイル・チャンドラー、
   エドガー・ラミレス、ジェームズ・ガンドルフィーニ、クリス・プラット、
   ハロルド・ペリノー、テイラー・キニー、レダ・カテブ

評価:★★★




 2011年5月11日、アルカイダの最高指導者であるオサマ・ビン・ラディンは暗殺された。記憶に新しいこの歴史的トピックについて、実はまだ知らないことだらけだと気づかされる映画だ。ビン・ラディンの隠れ家を突き止めたのは若い女性分析官で、しかもこれがCIAにおける初任務だったという。高卒後にリクルートされた人材というのも意表を突く。『ゼロ・ダーク・サーティ』は彼女の10年に渡る戦いを描く。

 監督のキャスリン・ビグローと脚本家のマーク・ボールはビン・ラディン追跡劇を描くため、徹底したリサーチを敢行したという。日が浅いからこそ、余計に神経を尖らせたことは想像に難くない。そうして見えてくる悪の首謀者を追い詰める過程は、生々しい迫力に満ちている。例えば拷問場面だけ取り出してみても、そこには見慣れた光景などない。暴力行為の他に見せられるのは、女の前で裸にされる辱め、犬の首輪の装着、手足を畳まないと入らない箱への詰め込み…。水責めの際は、布で顔を覆い、そこに水を振り掛ける。派手さはなくても陰惨な匂いがこびりつく。

 そうかと思えば、「押してダメなら引いてみな」の法則に乗っ取り、あっさり真実を導き出す件もある。描かれることが全てが事実だとは思わない。けれどここには、少し前のCIAの体質が見え隠れしていて、それを否定できない気配は確かに感じられる。

 ビグローはこの物語を、ヒロインのマヤの成長の物語として括らない。どれだけ忍耐を強いられる任務だったとしても、命の危険に晒されたとしても、彼女は泣き叫ばない。自分を投げ出さない。暴挙に走らない。冷静沈着さを失うことなく、淡々と分析に当たる姿が好もしい。

 しかし、そうした冷静な佇まいがいつしか、ビン・ラディンを捉えることへの異様な執着心へと変貌を遂げていくところがミソだ。同僚が殺されたことが変化の始まりだったのかもしれない。マヤの任務への没頭が、仕事だからなのか、復讐心からなのか、それともビン・ラディンにとり憑かれてしまったからのか、分からなくなっていく。この複雑な心理状態を魅せるのが、ジェシカ・チャステインだ。ほとんど表情を変えないままに、マヤの焦燥と密着した揺らぎを表現する。

 ビグローはひとつミスを犯している。マヤの視点から物語を見つめる際、リアリティを最優先にしていることは間違いないものの、時折マヤの人物像に色をつけるのだ。映画として物語を進めていく上での最小限に抑えられているものの、装飾が剥ぎ取られた画面の中ではそれが過剰に目立つ。無造作に見えて計算されたヘアスタイルだったり、民族衣装でメリハリをつけたり、通俗的な会話を意図的に挟んだり…。ラストショットではマヤのある表情を捉える。フィクションとノンフィクションが溶け合わず、かえって気持ちの悪さを感じる。

 ビン・ラディンを殺害する夜の描写は緊迫感に貫かれている。それこそ徹底したリサーチなくしては映像化は難しかっただろう。ネイビーシールズの隊員たちのヘリコプターでの移動。一機の墜落。暗視カメラによる視界。意外なほど静かな隠れ家の空気。乾いた銃弾の音。それ音を聞いて駆けつける近隣の人々。あっさりした首謀者の最期。時を刻む音とリンクするかのような編集が効いている。そこにあるのはもちろん、高揚感ではなく、虚無感だ。





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