ミッドナイト・イン・パリ

ミッドナイト・イン・パリ “Midnight in Paris”

監督:ウッディ・アレン

出演:オーウェン・ウィルソン、レイチェル・マクアダムス、
   カート・フラー、ミミ・ケネディ、マイケル・シーン、
   ニーナ・アリアンダ、カーラ・ブルーニ、イヴ・ヘック、
   アリソン・ピル、コリー・ストール、トム・ヒドルストン、
   キャシー・ベイツ、マリオン・コティヤール、エイドリアン・ブロディ

評価:★★★★




 オヤッと思ったのは、いきなりフランス観光名所がスナップ写真を撮るように映し出されていくからだ。エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、ロダン美術館…誰もが知っている“フランス”が並べられる。ウッディ・アレンだったらそういうスポットには無視を決め込んで、街角のカフェや通りに出ている雑貨屋に目を向けそうなものではないか。80歳が見えてきたアレン、ここに来てちょいとばかり肩から力抜けてきた。もちろん良い意味で。

 肩の力が抜けたと言えば、アレンは以前にも増して映画で遊んでいる。まず、主人公の造形が、これまでアレンが自分で演じてきた男たちの分身のような見せ方になっている。売れっ子脚本家で、実は小説家志望。パリに強烈に憧れながら、いざとなると守りに入ってしまい、現状維持を選んでしまう性分。この優柔不断にも見えなくもない主人公を、オーウェン・ウィルソンに演じさせる。自分そっくりに。セリフの早口の回し方。忙しない手足の動き。衣服の着こなし。右往左往の似合うドタバタ。自分を若返らせて喜んでいるアレンが見える。ウィルソンもそれに応える。「偉大なるマンネリ」の再構築。

 話はますます柔軟性を見せる。そのウィルソンが、どういうわけだか1920年代のパリの街に迷い込む。それも真夜中に。「何故」はない。午前0時を告げる鐘の音と共に現れる旧型のプジョーに乗り込むと、そこは当時の芸術家・文化人たちが集まる夢の場だ。スコット・フィッツジェラルド、コール・ポーター、アーネスト・ヘミングウェイ、パブロ・ピカソ、サルヴァトール・ダリ…。20年ならではの趣味の良い美術や衣装、音楽に囲まれて、アレンは「夢」に自ら迷い込む。そしてもちろん、観る者を「夢」に誘い出す。自らが戯れ、それを羨む者たちを同じ場所に引っ張り込む。

 アレンは20年代描写に念入りだ。甘美という言葉が似つかわしく、男も女も豊かさを炸裂させる。なんと優雅なのだろう。とりわけヘミングウェイには魅せられる。はっきりと自信に満ちた物言いで、ウィルソンを唸らせる。「真実の愛は一瞬、死を遠ざける」なんて名ゼリフもぽんぽん出てくる。演じるコリー・ストールも頼もしい佇まいだ。いつの間にかウィルソンと同じ顔になっている自分に気づく。頬の緩みが止められない。

 ただし、アレンは頭でっかちなエセ知識人には辛辣だ。インテリを気取り、自らの肉とはなっていない情報をひけらかすことで自我を確立しているような輩には容赦ない。その冷淡な態度には苦笑いしてしまうけれど、冷たくはしても、基本は侮蔑の眼差しを送る程度に収めているので、嫌な後味は残らない。やはり20年代パリで遊んでいる方が楽しいに決まっているのだ。

 とは言え、遊びに浸かるだけで終わりではない。アレンは夢がいつか覚めるものだと知っている。主人公は芸術の花開く20年代パリに熱烈に憧れながら、そこに生きる人々もまた、過去の時代に憧れていることに気づかされる。ベル・エポックを、ルネッサンスを、そしてそのまた先の時代を、先人たちは想っている。いつの時代も「過去は偉大なるカリスマ」なのだ。その事実が夢物語に僅かな苦味を加える。懐古趣味で全てを満たしてしまうところを切り抜ける。

 『ミッドナイト・イン・パリ』には幸福な夢の世界が広がっている。アレンは一緒に遊ぼうよと誘いかける。そこに留まるか、それとも別の道を選ぶかは、各々に委ねられる。スウィートで、チャーミングで、そしてビター。大人の味が愉しい。





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