ダーク・シャドウ

ダーク・シャドウ “Dark Shadows”

監督:ティム・バートン

出演:ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、エヴァ・グリーン、
   ヘレナ・ボナム=カーター、ジョニー・リー・ミラー、
   ジャッキー・アール・ヘイリー、クロエ・グレース・モレッツ、
   ガリヴァー・マクグラス、ベラ・ヒースコート、クリストファー・リー

評価:★★




 近年のジョニー・デップの演技が退屈なのは、その佇まいから翳り、そして危険な香りが消え失せてしまったからだ。90年代、最も刺激的な演技を披露していた役者は、21世紀に入ってから「家族」を意識した役柄ばかりを演じ、その結果、自身の武器を手放してしまった。いや、本人はおそらく手放したつもりはないだろう。ただ、これが役者の難しいところ、つもりはなくても子どもを中心に甘い顔を作り続けていると、それが演技にこびりつく。生物として本能的な部分で体得していたものを鈍くする。翳りや危険な香りを奪い去る。

 デップの不調はしかも、盟友ティム・バートンに伝染する。「アリス・イン・ワンダーランド」(10年)の体たらくに続き、『ダーク・シャドウ』でもかつてのほの暗い輝きは見当たらない。闇に奥行きを与えることに失敗している。単純にポップな映画に走っている。精神的な繋がりの不思議さよ。デップとバートンはなるほど、気の合う仲間というだけの間柄ではないらしい。

 この映画が惜しいのは、それこそデップがかつてのような翳りをまとっていたら、バートンが闇に奥行きを出すことに成功していたら、極めて愉快なダークファンタジーになった可能性があるところだ。魔女にヴァンパイアにされてしまった男が200年後に復活。没落した一族の末裔たちと家の再建に乗り出すという物語。ヴァンパイアや魔女の他にも、どこか陰のある容姿と秘密や野心を持った、一族の末裔たちも一筋縄では行かない。美術装置や衣装、メイクも凝っている。いかにもバートンとデップが愛する世界ではないか。

 失敗した最大要因は結局、哀しみの底が浅いところにある。主人公がヴァンパイアになったそもそものきっかけというのが、魔女を振った逆恨みというのだもの。怒った魔女は、ヴァンパイアに変えた愛する男を地中に埋めてしまう。復活後もまとわりつき、彼を少しずつ追いつめていく。安っぽい感情がベースに敷かれた復讐と、それを跳ね除けようとする一族の攻防。そこには「エド・ウッド」(94年)「スリーピー・ホロウ」(99年)で炸裂していた、生きていく苦しさや哀しみは微塵も感じられない。男の一途な愛や一族の秘密など、もっと暗い闇に包み込むことができるだろうに、綺麗に無視される。

 男が復活するのが70年代というのが面白いポイントになる…はずだった。200年前とは全く違う世界、60年代の匂いを残し、自由の精神が謳われ、カラフルな色が反乱し、ディスコ調、ロック調の音楽が溢れる時代。そこに事情を知らないヴァンパイアが、家族を想いながら、ドタバタを巻き起こす。ほとんど「テルマエ・ロマエ」的ギャグの羅列。その他のギャグと言ったら、時折下ネタが挟まれるぐらい。70年代という要素が「異質な画」以上の効果を上げない。

 救いがあるとするなら、魔女役のエヴァ・グリーンだ。予想通り妖気たっぷりのスタイルで迫るグリーンは、いとも容易くデップを喰い、画面を瞬時に自分のものにする。ウエストの細さも妖しい。メイクがハマり過ぎているのは可笑しい。人間役なのにやたらフリーキーなミシェル・ファイファーとグリーンが同じ画面に入る画は、他のどんな場面よりも妖しく色っぽい。

 グリーンとデップのセックスシーンがつまらないところが映画を象徴しているだろう。魔女とヴァンパイアが求め合う、壁にぶつかり、天井に跳ね上がり、インテリアを破壊し、傷だらけになり…という暴走セックスが全然笑えない。カット割りもオチのつけ方もコントそのまんま。家族問題が途中放棄されていたり、クライマックスが視覚効果だらけだったり、他にも雑な処理が目立つ。その歪さは…もちろん魅力的に映らない。





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