スーパー・チューズデー 正義を売った日

スーパー・チューズデー 正義を売った日 “The Ides of March”

監督・出演:ジョージ・クルーニー

出演:ライアン・ゴズリング、フィリップ・シーモア・ホフマン、
   ポール・ジャマッティ、マリサ・トメイ、ジェフリー・ライト、
   エヴァン・レイチェル・ウッド、マックス・ミンゲラ、
   ジェニファー・イーリー、グレゴリー・イッツェン、マイケル・マンテル

評価:★★★




 身内でゴタゴタしているだけで不愉快にはなっても面白くも何ともないどこかの国と違って、アメリカの大統領選挙に絡んだ攻防は、予備選挙も含めて見応えがたっぷりある。何でもエンターテイメントにしてしまう国だから、もちろん選挙戦からも娯楽の匂いが大量に発散される。…なんて書くと、明るいイメージが浮上するけれど、その裏側にある選挙戦のどす黒さ、暗い部分こそが娯楽のキモとなる。いつも知的なジョージ・クルーニーもそこのところは承知している。民主党内でライヴァル関係にある二つの陣営の暗部と暗部を擦り合せることで、話を展開させていく。

 クルーニー監督は配役センスに長けた人で、『スーパー・チューズデー 正義を売った日』でもそれは感じられる。性格俳優たちが適材適所で配置される。中でも際立つのは、対立する両陣営の最重要ブレーンにフィリップ・シーモア・ホフマンとポール・ジャマッティを置いたところだ。どちらも修羅場をくぐってきた頭脳と冷徹さを具えた人物。どちらが先に仕掛けるか。そして仕掛ける方法は何か。中盤に張り巡らされる、単純にして巧緻、そして卑劣な罠の全体像が見えてくるにつれ、その非情さが際立っていく。ホフマンとジャマッティ、白ブタと黒ダヌキが声を荒げないままに凄味を効かせれば効かせるほどに、政治の世界の闇が深くなっていく。

 ホフマンは「忠誠心こそが唯一の“通貨”だ」と言う。政界に入る人間の大半はおそらく、自身の理想と信念を持っているものだろう。それがいつしか独特のルールの中で雁字搦めになっていく。ここでの忠誠心は決して明るい未来を導くものではない。理想と信念を呑み込み、その意義を消し去ってしまう。そしてそれだけの力を秘めた忠誠心もまた、政治家の保身にいとも容易く握り潰される。クルーニーはこの構造を常に意識することで、土台の安定化を図っている。

 クルーニーが幸運だったのは、選挙には映画向きのネタがゴロゴロ転がっているところかもしれない。宗教が利用され、中傷を堂々と掲げ、政策論争ではなく資金集めに全力が注がれ、金に糸目をつけることなくPRCMが大量投下される。権力もここではエサになる。つまり、ドラマは至るところに潜んでいる。クルーニーはそのいちいちを見逃さず、スマートに本筋に組み込んでいく。

 「コンフェッション」(03年)「グッドナイト&グッドラック」(05年)でも明らかなように、クルーニーの演出は老成している。無闇にカメラを動かさず、セリフで全てを語らせず、語ることを急がせず、勝手に善悪のジャッジを下さない。引き算の見せ方を心得ている。無駄がないと言い換えることも可能だ。

 ところが、その無駄のなさが、ややマイナスに働いた箇所が存在する。理想と信念を持った青年が闇に呑み込まれていく過程に破綻というものがない。あまりにそつがない。彼の心象の変遷が綺麗にまとめられ、でもそれがかえって物足りない。やけに素直なのだ。陣営の中では第二のポジションに就くぐらいに頭脳明晰な青年が、直面する事態に慌て、呆然として、やがて復讐に転じ、私欲も求めていく流れに濁りがなく、見やすくはあっても心にフックしない。

 ストーリーとしてはある人物の退場が拙かった。退場により青年が動きやすくなり、あるべき粘着性が薄まっていく。着地点が過剰に見えてくる。ストーリーを語ることが第一になっていく。巨大な星条旗を背後に、黒い影が動くショットが何度か出てくる。この意味を追求するためには、青年の心の宇宙の探りに専念するべきだったと思う。ライアン・ゴズリングが秘めているだろう凶暴性が勿体無い。





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