マシンガン・プリーチャー

マシンガン・プリーチャー “Machine Gun Preacher”

監督:マーク・フォースター

出演:ジェラルド・バトラー、ミシェル・モナハン、マイケル・シャノン、
   キャシー・ベイカー、スレイマン・スイ・サヴァネ、マデリン・キャロル

評価:★




 不快さに満ちた『マシンガン・プリーチャー』で唯一救いがあるとするならば、主人公を聖人として見てはいない点ということになるだろうか。マシンガンをぶっ放しながら、スーダンの非情な反乱軍LARに立ち向かう男を、英雄視しない。家庭を顧みることなく、暴力を使って敵に向かっていく行為に疑問を投げ掛けながら、スーダンの今を訴えていく。それでもあなたは、甘ったるく現実を見過ごすのですか。

 つまり作り手は本気なのだ。真面目なのだ。主人公サム・チルダースの矛盾に支配された内面やスーダンの悲劇的現状に真正面から向き合い、しかし、それにこだわるばかりに雁字搦めになり、映画の語り手としては致命的だろう、柔軟さを失ってしまった。結果観る側は提示される出来事を多角的に見ることができず、主人公には近寄りたくない、そんなことならスーダンとは関わらない方がマシ…という最もあってはならない方向に向かうことになる。何という不幸。

 中でもチルダースの描き方にひっくり返る。麻薬の売人であるチルダースは刑務所に入っても反省しない。罪悪感を失った冷徹な人間で、妻をストリッパーとして働かせるわ、簡単に手を上げるわ、アルコール漬けだわ、ドラッグ漬けだわ、強盗に入るわ…という毎日。ところがある事件をきっかけに、彼は完全なる生まれ変わりを見せる。急に真面目に働き始め、ボランティアに熱心になり、献血にだって協力しちゃう。すっかり「良い人」。そして彼は突然スーダンに渡ると言い出し、その現実を見るいやいなや、無垢なる子どもたちを守る使命にまで目覚めるのだ。牧師になって、教会や孤児院を建てちゃうぞ。

 ギャグである。しかし、作り手はマジだ。男の変貌の背後にキリスト教を敷いて、後はもう男の暴走を眺めるのみ。男の行為は正当化はしないまま、問題提起に励む。男が使命にのめり込めば込むほどに白けてしまうのは、行為をどう受け止めたら良いか分からないからではない。神を盾に物語を単純な構図に落とし込むからだ。男が善行に走るとアメリカに住む妻子が不幸になる。善行は暴力に塗れている。その暴力がなければしかし、スーダンは変わることがない。複雑に絡み合う現実を、むしろ分かりやすく受け止めてしまうことに白けてしまうのだ。

 後半ずっと頭にちらつくのはマインドコントロールという言葉だ。自分だけならともかく、妻も娘も友人も犠牲にして、それでもスーダンにとり憑かれていくチルダース。彼が依存するのは現実。敢えてすがる者がいるとするなら、それは神であり、その恐ろしさばかりを突きつけられる。実体のないものに支配される男が、恐怖刺激でしかなくなる。

 おそらく作り手が立ち位置を明確にしていないのが拙いのだろう。「自分ならこう考える。あなたはどうですか?」という投げ掛けを放棄し、全てを観客に委ねる。そのためチルダースの矛盾、悪夢のような日常までもが分かりやすいままに宙ぶらりんの状態に置かれる。答えのない答えに振り回されるだけで、そこから広がっていかない。





blogram投票ボタン

ブログパーツ

スポンサーサイト



テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Friends
福☆こもろ