50/50 フィフティ・フィフティ

50/50 フィフティ・フィフティ “50/50”

監督:ジョナサン・レヴィン

出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、セス・ローゲン、アンナ・ケンドリック、
   ブライス・ダラス・ハワード、アンジェリカ・ヒューストン、
   マット・フルーワー、フィリップ・ベイカー・ホール、サージ・ホード

評価:★★★★




 『50/50 フィフティ・フィフティ』で賞賛されるべきなのは、難病を取り上げながら笑えるところではない。清々しく泣けるところこそ、素晴らしい。悲劇的なことを並べ立て、かつ飾り立てることで泣かせるのではない。心の機微にそっと寄り添い、ホンモノのエモーションを刺激する。その証拠に笑っている傍から胸を締めつけられている自分に気づく。あぁ、人生とはこういうものだった。笑いと涙がいつも一緒にある。

 主人公は27歳にしてガンを宣告される。覚えられないほどに難しい名前のガン。察するに治療はガンの中でも難しい方だろう。主人公がいつだって安全運転なのが可笑しい。酒は呑まない。タバコも吸わない。女性関係も清らかだ。交通ルールもちゃんと守り、周りに人がいなくても信号無視なんてとんでもない。それなのに彼はガン患者だ。安全運転なのにガン患者だ。しかも彼は車を持っていない。それどころか免許すら持っていない。

 ガンになることで、主人公は自分の周りがよく見えるようになる。おそらくそれまでも注意深く接していただろう人たちの心が見えるようになる。恋人は一緒に病気に立ち向かう勇気と覚悟がない。母親はこちらの気持ちを無視して世話を焼きたがる。知り合いはやたら同情を寄せる。それを非難しない。その揺れを冷静に、誠実に見つめる。

 唯一これまで通りに振る舞うのは親友だ。彼は病気を逆手に取ってナンパに励もうとするツワモノだ。無神経ともいうけれど、それが彼のやり方だ。ちょっとはデリカシーというものを考えて欲しいと思うべきだろうか。演じるセス・ローゲンの、あの憎めない個性が生きている。しかもその親友も密かに…という展開が巧い。さり気なくグッと来る。

 言うまでもなく主人公をジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じている意味は大きい。病気を受け入れているのか、必死に不安を隠しているのか、飄々と試練の海を泳ぐ。彼は泣かない。彼は喚かない。彼は怒らない。そしてその代わり、静かな物腰に笑いと涙を忍ばせる。つまりゴードン=レヴィットこそが映画の命だ。

 脚本家の実体験を基にしているとのことだけれど、つまり主人公は生き延びるということだろうか。実はここでは主人公が完治するまでが描かれるわけではない。治ってメデタシメデタシではない。ただ、冒頭と終幕では決定的に違うところがある。タイトルにもなっている「50/50」とはこのガンの治癒率から来ている。つまり助かるか死ぬか、確率は半分半分。主人公は50%という数字に動揺する。無理もない。心も身体も弱っているときに示される数字は恐ろしい。友人が「カジノならいい数字だ」なんて声をかけてもたいした効果はないだろう。それが変わる。周りをよく眺めることで、もちろん恐怖も消えてはいないものの、希望を信じ始める。終幕の彼ならば50%を信じるだろう。どうしようもない不安と共に50%を信じるだろう。助かる確率が50%ではなく10%だったとしても、それを信じるだろう。

 映画はそれを魅せる。語るのではなく魅せる。絶望に打ちのめされても、そこに僅かでも望みがあるのなら、それに賭ける。それだからこそ見えてくる未来が美しい。





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