デビル

デビル “Devil”

監督:ジョン・エリック・ドゥードル

出演:クリス・メッシーナ、ローガン・マーシャル=グリーン、
   ジェフリー・エアンド、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、ジェニー・オハラ、
   ボキーム・ウッドバイン、ジェイコブ・ヴァルガス、マット・クレイヴン

評価:★★




 世間がM・ナイト・シャマランをマトモに見ていたのは、せいぜい「アンブレイカブル」(00年)あたりまでではないか。最近のシャマランはすっかりC級監督扱いされていて、それも仕方ないと承知しつつ、なんだか気の毒に思うこともあるぐらいだ。シャマランがこうなってしまったのはしかし、彼ばかりのせいではないだろう。世間がうっかり「シックス・センス」(99年)なんてものを支持してしまったのが始まりだ。

 シャマランは「意味深でもったいぶった演出」と「唐突などんでん返しの結末」の二点において、それこそが俺の武器だと思い込み、それを繰り返すことに専念してしまう。なにしろ「シックス・センス」は世界中で大ヒット、オスカーでは作品賞候補に挙げられたのだから無理もない。これはセールスポイントになるという思い込みは、自然な着地点だったのではないか。この二点へのこだわりがマンネリであり、もはや滑稽にしか映らないことに、シャマランは全然気づかなかった。ある意味良い人だ。ところがこれだけ酷評が続き、10年も経てば、さすがにシャマランも気づく。「エアベンダー」(10年)は初めて原作物で、ストーリー重視のSFに挑戦している。遅過ぎる反省。遅過ぎる目覚め。結局ラジー賞に輝いちゃったけど。

 『デビル』はようやくワンパターンの呪縛から逃れ始めているシャマランが、軌道修正とばかりに放つ一打だ。…と言っても監督は務めていない。原案とプロデュースを担当している。出来はと言うと、これがたいして良くない。監督は別の人間で、「意味深でもったいぶった演出」にも「唐突などんでん返しの結末」にも頼っていないのに、一体なぜ。

 やっぱりシャマラン映画は核となるアイデアの時点で、とんでもなくバカバカしいということなのだろう。それゆえ誰が監督したとしても、それを拭い去るのは難しいということなのだろう。エレヴェーターに閉じ込められた5人の男女が、電気が消える度に一人また一人と殺害されていく。古今東西よくある設定だけれど、それをそのまま推理劇として見せるならまだ良かった。ファンタジー作家の面目を保ちたかったのか、シャマランはここに悪魔話を絡めてしまう。不自然な展開や矛盾を全て“悪魔”の仕業として片づける安易さが、サスペンスの一切を殺し、そのとんでもぶりを際立たせていく。エレヴェーター内を制御室から観察するのもいかにも丁寧で、いかにも煩い。

 そうなのだ。シャマラン映画の忘れてはいけない特徴、それは「とんでも映画としての外見」だ。『デビル』はシャマランが直接演出を試みていないことで、通常よりもそれがくっきり見える。装飾が排除され、アイデアが剥き出しになり、その笑ってしまうほどの強引さが前面に出ている。そういう意味で、監督作ではないものの、いかにもシャマラン映画。絶大なる脱力感を具えている。

 オープニングのインパクト重視の画面作りが可笑しい。ストリングスを絡めた奇怪な音楽。舐めるように撮られていくフィラデルフィアの街並。わけもなく逆さまになるカメラワーク。不気味さを煽る聖書の言葉。オチにつけられた投身自殺。ショックを狙っていることが丸分かりのこけおどし的見せ方。本当にシャマランが演出していないのか、不思議に思える。

 無名の役者が揃えられているのは正しい。ただ、どういうわけだか皆、日本人俳優に見えてきて困った(笑えたとも言える)。最初の犠牲者となるセールスマンは大泉洋、警備員は時任三郎、老女はもたいまさこ、若い女は国仲涼子、若い男は市原隼人。一旦そう見えると、そうとしか思えなくなる。これもまたシャマランマジックかもしれない…。





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