40歳の解釈:ラダの場合

40歳の解釈:ラダの場合 “The Forty-Year-Old Version”

監督・出演:ラダ・ブランク

出演:オズウィン・ベンジャミン、ピーター・キム、イマニ・ルイス

評価:★★★★




 もう少しで40歳を迎えるラダは言う。「貧困ポルノは嫌いだ」。黒人である彼女はそのルーツに色々思うところがあるのだろう。黒人の物語と言うと、人種差別やそこから来る経済的問題を抱えた者たちの話ばかりだ。彼らは苦労する。耐える。でも決して希望を捨てはしない。映画でも演劇でも、不屈の精神を具えた黒人ばかりが取り上げられる。そこには必ず、白人の目線が存在する。…うんざりする!というわけだ。完璧に支持したい。

 主人公を自身で演じ、かつ自分と同じ名前をつけているあたり、ラダ・ブランクの自伝的要素の強い話だと察するけれど、そのストーリー自体に気を衒ったところはない。10年以上新作から遠ざかっている彼女が、新しい可能性を見つける話。自分探しの物語と言い換えることもできようか。一瞬そのテーマに引いてしまうものの、ラダが目覚めるのがヒップホップ・アーティストだから、むしろ身を乗り出すことに。

 年老いた白人の海で溺れかかっているラダがリリックに叩きつけるのは、くすぶり続ける自分への焦りや依然白人優位に事が進む社会への怒りだ。最初こそ「デカいケツの白人」ばかりが飛び出してギョッとするものの、口の悪さを武器にしたラダは、キャップやフードを被り、軽快に韻を踏み、もうすぐ40歳な自分を鮮やかに描き出していく。ステージネームは、ラダムス・プライムだ。ワーオ。

 もちろんこれはラッパーの方が脚本家より性に合っていたという話ではない。その証拠にブランクは35mmモノクロ映画の構造に脚本家らしい仕掛けを施す。力を持つ白人の好みに自らの演劇作品を寄せてしまう展開を用意し、そしてそれこそが「良い話」だと歓喜する観客を笑い飛ばし、最後はそんな生き方に大きな蹴りを入れる。重要なのは表現媒体ではなく、そこに己があるかどうか、だ。

 周辺人物の描写も厚みがある。高校時代からの友人である韓国人エージェント(ヒュー・グラント風なのが可笑しい)や彼女の才能とそこに潜む人間性に惚れ込むビート作家は、ラダの鏡として機能する。ラダが教師を務める学校の生徒たちも自己の確立に立ち向かう。話の最中に挟まれるインタヴューの中に出てくる黒人たちは、率直で明け透けな意見で、ちょっとでも白人に都合良く行きそうな展開を串刺しにする。

 物語の終着点は良く言えば穏やかで、悪く言えば予想通りだ。ただ、観客は必ずは気づくはずだ。ラダのことをもっと好きになっている自分のことを。そして、「私は40歳から人生を楽しみ始めたわ」…充実しかない人生を送る人にしか響かないように思われたセリフが、ちょっとだけ信じられるかもしれない。『40歳の解釈:ラダの場合』は心の海を優しく希望溢れる水で満たしてくれるのだ。





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