もう終わりにしよう。

もう終わりにしよう。 “I'm Thinking of Ending Things”

監督:チャーリー・カウフマン

出演:ジェシー・バックリー、ジェシー・プレモンス、トニ・コレット、
   デヴィッド・シューリス、ガイ・ボイド

評価:★★★




 チャーリー・カウフマンが監督を手掛けるのは、『もう終わりにしよう。』が三作目だ。前二作との最大の違いは原作小説が存在することだ(脚本家に専念した作品では原作物もある)。原作の存在がカウフマンの豊かで尖った想像力の広がりの足枷になったのではないかとするのは、深読みが過ぎるだろうか。

 いや、別に面白くなくはない。期待通りと言うべきか、やっぱりかと言うべきか、ヘンテコな世界観だ。別れるつもり満々の恋人の実家を訪問することになる女の物語。別れるにもエネルギーが要るとして流されて生きる彼女が、奇妙な空間に迷い込む。雪が降る中、行きの車内からしてヘン。盛り上がらない会話。場違いなポエム。哲学的な掛け合い。ナイスカップルとはとても言えない男と女。

 男の実家に到着するとヘン度はますます上昇。ラジオや置物の造形。死んだブタ。犬の爪痕の残るドア。濡れた犬。男の両親に至っては、この世の何かでない者が人間に化けているみたいだ(とりわけ母役トニ・コレットの奇怪さよ)。時間軸が揺れ始めるのも可笑しくてヘン。そしてこの頃になると、まともに思えたヒロインも、いやヒロインこそが実は狂っているのではないかと思い至る(ジェシー・プレモンスはいるだけで怖いのに対し、ジェシー・バックリーが微妙な変貌を伝える演技)。まだ食事しているのに勝手にディナーテーブルを片付け始めるなんて!

 ヒロインの元へ度々かかってくる電話と時折挟まれる学校の清掃係の画がポイントと睨む。文学への目配せもヒントだろうか。「こわれゆく女」(74年)が言及されるのも臭い。ドライブスルーの双子は「シャイニング」(80年)へのウインクだろう。カウフマンはそうした芸術分野を考察しながら、女の行く末を見守る。いや、見守るふりをして遊んでいる。なるほど確かにカウフマンワールドだ。

 ただ、どこか頭でっかちな気がするのだ。暗くて哀し気な世界観こそ胸躍るものの、どうも会話が理論重視、それに伴い話も可笑しさや怖さよりも堅苦しさが前面に出てはいまいか。話の鍵を解く鍵となる学校場面。突然ダンスが始まるあたりに高揚を覚えつつ、それが絶頂に到達しないままに終わってしまうのは、いかにも頭で考えたヘンテコ世界に思えるからだ。ゆえにこの映画には、決定的に色気が足りない。

 もちろん「真相」にこだわるのはつまらない。これはもう、ヘンテコな世界観のヘンテコな魅力をヘンテコなものとして体感するところに価値がある映画だからだ。けれど、それに案外苦戦する。あれはどういう意味なんだ、これはそういう意味じゃないか。気がつくと考え込んでしまう自分に気づく。確かにわくわくするところはあるのに想像力が思うように広がっていかないというのは、そういうことだ。





ブログパーツ

スポンサーサイト



テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク