SOMEWHERE

SOMEWHERE “Somewhere”

監督:ソフィア・コッポラ

出演:スティーヴン・ドーフ、エル・ファニング、
   クリス・ポンティアス、ベニチオ・デル・トロ

評価:★




 結局のところ、ソフィア・コッポラは「ハリウッドのお嬢様」以外の何者でもないのだろう。何しろ父親は巨匠フランシス・フォード・コッポラだ。名門コッポラ一族の中でも大切に大切に育てられてきたに違いない。庶民とは考え方も感じ方も違うのだ。そんな冷めた目で観てしまう『SOMEWHERE』。幼い日の記憶を呼び起こしたかのようなこの映画には、「孤独」と「空虚」という言葉が、破廉恥なまでに至るところに散りばめられている。けれどちっとも現実味がない。ひょっとしてSFと言っても通用するかもしれない。

 主役に置かれているのは中年のハリウッドスターだ。おそらく一流どころだろう。豪華なシャトーマーモントホテルで、金を湯水のように使う贅沢三昧の生活。高級車を乗り回し、サングラスを掛けてプールで日光浴、女を金で買って(しかもポールダンサー)、後は思う存分物思いに耽る。コッポラは「こんな毎日でも、やっぱり寂しいの。アンタたち庶民と同じなのよ」と語り掛けるけれど、その庶民は当然のように思う。虚しく感じる?当たり前だっちゅーの。

 街の様子が全然映らないことに気づく。スターはホテルと車の中でしか人生を送っていないように描写されている。街に出るとパパラッチもファンも寄ってきて、とても心は休まらない。それを言い訳にスターは街を一切歩かない。要するに世間と接点を持たないことを選んでいる。その意味をもっとじっくり練り上げるべきではなかったか。スターを唯一、世間へ連れ出してくれる11歳の娘がいても、その優しさに甘えるばかりで、生きている気配がほとんど動かない。そんな状況で胸にぽっかり穴が開いた辛さを訴えられても、感じ入ることなどさしてないだろう。

 コッポラと言ったら「女の子」アイテムを取り入れるのが大好きで、「マリー・アントワネット」(06年)ではそれ(だけ)が上手く機能していたことを思い出す。それがこの映画では、主人公が男ということもあってか、とりたてて前面に出ていない。と言うか、スターを演じるのが、スティーヴン・ドーフというのに驚く。暑苦しい顔のスター選手権があったら上位入り間違いなしのドーフは、どう考えてもコッポラの世界観に合わないタイプ。実際、Tシャツとジーンズというラフなスタイルを崩さないドーフが画面から浮いてしまう場面が散見される。ランニング一丁になったらどうしようと不安を抱かせるほどだ。「セレブ」という嫌悪すべき言い回しに全くフィットしないドーフが落ち着かない。ただし、その娘を演じるエル・ファニングの伸びやかな手足は、いかにもコッポラが好きそうな匂いを発散している。でも、このふたりが父娘って、アリ?

 どうせならばドーフではなくてチャーリー・シーンを起用する冒険心を見せて欲しかったところだ。シーンならばもっとハチャメチャなホテル暮らしを展開させても違和感はないだろう。金と女を両手に抱え、取り巻きたちと共にバカ騒ぎ。ほとんど悪趣味だけど。パロディにしかならないだろうけど。「ロスト・イン・トランスレーション」(03年)とはまた違った「お嬢様」な退屈さが辛い。これを打破しない限り、コッポラはこれからも何度も同じことを繰り返す気がする。





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