ロニートとエスティ 彼女たちの選択

ロニートとエスティ 彼女たちの選択 “Disobedience”

監督:セバスチャン・レリオ

出演:レイチェル・ワイズ、レイチェル・マクアダムス、
   アレッサンドロ・ニヴォラ、アントン・レッサー、バーニス・ステジャース

評価:★★




 レイチェル・ワイズとレイチェル・マクアダムス、ふたりが遂に身体を重ねる場面。ひとりが上で、もうひとりが下だ。上の口から下の口へと垂らされるのは生唾だ。おぉ、何と生々しい。そしてワイズとマクアダムス、良く頑張りました(CGじゃないよね?)。さて、唾をお口で受けたのはどちらでしょう?

 …って、『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』はそんな映画じゃない?確かに。でもそう言いたくなるのは、ここまでやっても二大女優の間に流れるものが、ちっともエロティックじゃないからだ。ふたりの抑え切れない愛の欲望はエロティックでなければならない。なぜならそうあることは生きているということだからだ。生の力なくしてエロスは生まれない。そしてまた、逆もしかり。

 何故こんな事態になったのか。ひとつはマクアダムスが、セクシャルな魅力が見え辛い女優であること大きいだろう。ワイズがいくら頑張っても、それだけではコンビネーションのエロスは立ち上がらない。それからやたら深刻な気配で押すのも余計な緊張感が張り詰めていけない。適度にユーモアを注がなくては…。

 けれど結局は、舞台となるユダヤ人コミュニティの描き方に問題があるのではないか。厳格…と形容すると良く物語に響くものの、その閉鎖的、排他的空間は、今の時代に溶けることのない頭でっかちなものでしかない。ならばそうする意味を示してくれなくては…。

 ワイズはコミュニティを捨てた者として、マクアダムスはコミュニティと共に生きると決めた者として対照的な存在だ。ところが、ふたりはかつて恋人同士だったこともあり、再会した途端に愛を隠そうとしない。つまり対立軸が見せかけだけに終わる。コミュニティは単なる恋の障害だ。

 抑圧された人ばかりが出てくるストーリー。マクアダムスの夫役のアレッサンドロ・ニヴォラはもっと上手に動かすことができたのではないか。自身も葛藤を抱えるコミュニティの顔として、そして妻を愛する男として、このふたつの役割が物語の潤滑油的な物に落ち着いている。ワイズとマクアダムスが不憫にしか見えないのにずっと違和感を感じ続ける羽目になる。





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