ジョジョ・ラビット

ジョジョ・ラビット “Jojo Rabbit”

監督・出演:タイカ・ワイティティ

出演:ローマン・グリフィン・デイヴィス、トーマサイン・マッケンジー、
   スカーレット・ヨハンソン、サム・ロックウェル、レベル・ウィルソン、
   スティーヴン・マーチャント、アルフィー・アレン、アーチー・イェーツ

評価:★★★




 戦争とユダヤ人と子ども。この三点を組み合わせるだなんて、警戒するのも当然だろう。恐怖といじらしさを衝突させる泣かせ映画を想像してしまう。名作と誤解される「ライフ・イズ・ビューティフル」(98年)だって、この雛型にまんまとハマっていたではないか。そこでタイカ・ワイティティは、ここにユーモア…と言うか視覚を刺激する笑いを次々投下。際どくも胸を打つ物語を展開する。

 『ジョジョ・ラビット』の狙いを象徴するのは、主人公ジョジョの傍らに立つアドルフ・ヒトラーだ。ここでのヒトラーはジョジョの憧れであり、想像上の友人だ。子どもの想像の中だからなのか、ヒトラーはほとんど道化・漫画のような動きを見せる。ジョジョの心が揺れるとき、高ぶるとき、緊張するとき、ヒトラーは平然と現れ、奇怪な動きで彼を誘導する。思わず吹き出す。

 このヒトラーをワイティティ自身が演じる。見た目を似せてきたことに気を取られるべきではない。ワイティティ、実はユダヤの血を引く人であり、その彼がユダヤを憎むヒトラーを演じることに意味を見出す。普段なら癇に障る、ドイツで母国語として飛び交う英語も、アメリカ人がドイツ人を演じる配役も、堂々流れる時代を超えたポップミュージックも、ここではワイティティ流のジョークとして機能、現実と幻想の境界を溶けさせるではないか。

 ナチスを崇拝するジョジョ少年が我が家に匿われていたユダヤ人少女との出会いにより考えを変えていくという、ともすれば甘ったるい展開に、ピリリとしたものが流れるのは、笑いが不敵であり、同時に本当の優しさに満ちているからだ。その象徴がジョジョの母親だ。スカーレット・ヨハンソンが演じる。頭が良く、大胆で、心根が清らかだ。ヨハンソンが体現する愛は、現実に苦しみながら、哀しみを伴いながら、奥行き深く温かい。

 そんなヨハンソンから生まれたのだ。ジョジョが愛くるしいだけで終わるはずがない。演じるローマン・グリフィン・デイヴィスの生き生きした表情、少年特有の細い身体が、物語の間にどんどん変化を遂げる。青春の気配もまといながら、少年が価値観を変える。型通りでも、本当らしく感じられる。少年は少女に言う。「ナチスとユダヤ人はキスできない。同情のキスは要らないよ」。好きにならずにいられない。

 ジョジョのデリケートな変化を靴紐に映し出すあたり、ワイティティが単にはったり勝負の人ではないことは明らかだ。少年兵を訓練するサム・ロックウェルにしても、記号化されたナチス像にはなっていない。ワイティティは銃やナイフ以上に強さを発揮する武器を信じている。それゆえの切なくも穏やかなラストシーンがグッと来る。





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