アイ・アム・マザー

アイ・アム・マザー “I Am Mother”

監督:グラント・スピュートリ

出演:クララ・ルガアード、ルーク・ホウカー、ヒラリー・スワンク

声の出演:ローズ・バーン

評価:★★★




 映画が描く大抵の未来は暗い。人類が絶滅の危機に瀕しているのがほとんどで、『アイ・アム・マザー』など最初、どこぞやの施設でロボット(♀)と彼女が育てる人間の娘しか出てこない。ロボットが教育熱心なママであることは可笑しいものの、その「平和」な暮らしが別の人間(♀)が現れたことで崩れていくという展開は有り触れている。

 加えて、美術にはさほど目を引くところはない。おそらく予算はそれほどかけられていないはずで、その影響をあからさまに受けたのがプロダクション・デザインと言えるだろう。無機質で機能性重視の殺風景な空間は閉塞感が強いだけで、デザイン性はほとんどない。ロボットのデザインにしてもパッと目を引くようなものはない。A.I.ロボットなら、やっぱり「A.I.」(01年)のジュード・ロウが最高だった。

 ただし、ここには知性がある。「ロボットと人間」「母親と娘」、少ない登場人物にこのふたつの関係を入念に組み込み、互いが交信・対立する様を凝視、それが変わっていく過程をじっくり観察する。ロボットと人間が親子になれるのか。ロボットと人間の関係は対等であり得るのか。シンプルなこの問い掛けが、意外な方向に転がっていく。

 暴走はもちろん、ロボットから始まる。平和を崩すことは許さないと異分子の排除に乗り出す。この際、ロボットが少女を守ろうとする画が、母親が娘を守ろうとする画に重なるのが面白い。果たしてこれはロボットの暴走なのか。それとも母性の暴走なのか。機械的で無駄のない行動をするロボットは、現実世界を映し出すメタファーだ。

 同時にSFスリラーの世界のメッセージ性が強くなる。自分の目で物事を判断する意義。小さな箱から飛び出したとき広がっていく可能性。命にまつわる倫理観。果ては生きるとはどういうことか。少女の旅路がもうひとつの「アダムとイブ」の物語に見えてくる不思議。意外やスケールが大きい。

 とにかく登場人物が少ないので、俳優が背負うものが大きい。デビュー時のナタリー・ポートマンを思わせる懸命な表情のクララ・ルガアードと、厳しい眼差しに人間らしさを湛えるヒラリー・スワンク、そしてそこに入り込むロボット。このトライアングルの揺れ方に節度あり。そしてタイトルについて考える。このマザーとは誰を指しているのか。それが見えてきたとき、映画が別の角度から輝き始める。





ブログパーツ

スポンサーサイト



テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Friends
福☆こもろ