メアリーの総て

メアリーの総て “Mary Shelley”

監督:ハイファ・アル=マンスール

出演:エル・ファニング、ダグラス・ブース、スティーヴィン・ディレイン、
   ジョアンヌ・フロガット、ベン・ハーディ、メイジー・ウィリアムス、
   ベル・パウリー、トム・スターリッジ

評価:★★




 かの有名な「ディオダティ荘の怪奇談義」の後、メアリー・シェリーが何かにとり憑かれたように「フランケンシュタイン」を一気呵成に書き上げる場面がある。黒インクが紙に擦れては絶望と後悔と化し、そして散っていく。あぁ、彼女はこうして居場所を見つけるに至ったのだと腑に落ちる印象的な流れだ。それならば、『メアリーの総て』よ、何故そこを深く突っ込まないのだ。

 その前後、メアリーがその他の高名な詩人(もちろん男)たちから彼女に見合った敬意を得られなかったり、女であることを理由に匿名での出版を強いられたり…と女性の地位や権利云々にまつわる戦いに傾いた描写が並ぶ。それもメアリーの人生の一部分と理解しつつ、「フランケンシュタイン」を生み出すその苦しみは、常に念頭に置かれるべきだ。

 そもそも何故メアリーは怪奇物が好きになったのか。母が己の誕生と引き換えに命を失う悲劇から、メアリーには死の匂いがまとわりつく。何が彼女に影をもたらすのか。独自の見解を提示しないのは、この題材では致命的な欠陥ではないか。そう言えば彼女が墓場に安らぎを見出したり、霊感に似たものを持っていたり…という謎はトリヴィア紹介程度の役割しか果たさない。

 …となると困るのは、話がダメ男を愛してしまった女のメロドラマに見えてくることだ。メアリーの夫は詩人のパーシー・シェリー。既にある程度の名声を得ていた彼は、「自由」を言い訳に好き放題。メアリーはそれに振り回される。彼女がそういう男を選んだ自分の責任から逃げないのは立派でも、話がメアリーの戦いの物語として立ち上がることはない。それでも離れられない腐れ縁の物語でしかない。

 ただ、メアリーをエル・ファニングが演じたのは幸運だった。メアリーが18歳にして「フランケンシュタイン」を産み落としたというのは驚きの事実だけれど、ファニングはそれを嘘臭く見せない。ファニングは気分が高揚すると、あの白い肌に瞬く間に赤みが差し、唇の赤も美しく輝き出す。序盤、パーシー・シェリーに夢中になる件など、その立ち居振る舞いや表情に釘付けになる。この生命力に直結した感性を宿した肉体の人物なら、早熟な芸術を生んでも不思議ではない、と。

 そして、同時にファニングは、やたらと生々しい存在感の持ち主でもあるのだ。絵本の中のプリンセスではない。肉体の血の熱さを生き生きと感じさせる女優。それだからメアリーが男に翻弄されるだけに見えても、一定の磁力は失わない。それどころか、いつしか映画の熱まで捕らえてしまうのだから、ファニング、天晴れだ。





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