スリー・ビルボード

スリー・ビルボード “Three Billboards Outside Ebbing, Missouri”

監督:マーティン・マクドノー

出演:フランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、
   ウッディ・ハレルソン、アビー・コーニッシュ、ジョン・ホークス、
   ピーター・ディンクレイジ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、
   ルーカス・ヘッジズ、ケリー・コンドン

評価:★★★★




 レイプにより娘を亡くした母親が、一向に犯人を挙げられない地元警察と対立する物語。『スリー・ビルボード』はこのプロットだけ取り出すと、犯人を逮捕したいことだけは共通している二組が、いがみ合いながら真相に向かう話に見える。けれどマーティン・マクドノーが仕掛ける技は、そんな単純なものではない。

 無惨に殺された娘。その事実だけを眺めるのはあまりに愚かだ。誰しも人権は守られなければならないし、それを軽視する者たち(多くは男)の思考は正されなければならない。マクドノーはそんなことは当たり前だという前提の下(観客への信頼とも言う)、決して白黒はっきりとは生きられない人間という生き物の複雑さを凝視する。狙いは白と黒が混じり合う灰色の部分だ。

 最初こそ母親の思い切った行動に喝采を贈るだろう。娘が殺された寂れた道沿いにある大きな三つの看板を真っ赤に塗った上に掲げられるのは「RAPED WHILE DYING」「AND STILL NO ARRESTS」「HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?」の文字。怠慢な警察への挑発は、そうすることしかできない小市民の叫びを代弁するけれど、本当に彼女は正しいのだろうか。彼女への共感が揺らぎ始めるまで、アッという間だ。

 共感と反感の狭間に置かれるのは母親だけではない。真面目で人望の厚い警察署長と、無教養で差別主義の下っ端警官の存在が、灰色をさらに掻き回す。母親は署長の真実の姿を知ることで正義の意味を自身に問い掛けざるを得なくなるし、差別警官の変化を通して人の多面性に気づく。そして、己の価値観を疑い、葛藤の沼に引きずり込まれる。

 マクドノーは複雑さの成分のひとつを、怒りの感情に見ている。この映画に迷うことなく共感できる人物が出てこないのは、それぞれが抱える怒りの方向と分量が、人によって全く、或いは微妙に異なるからだ。けれど、マクドノーは信じてもいる。その違いを受け止めることはできなくても、きっと共有できるところはあるのだ。そしてそれは、灰色に生きるしかない人々にしかできない技なのだ。

 とにかく役者が誰も彼も最高。フランシス・マクドーマンドの怒りで身体がぱんぱんに膨れ上がった母親像は、良い悪いではなく、目を離してはいけない、ある種のモンスター的迫力に満ちている。サム・ロックウェルが魅せる差別警官の変化は物語の魂と呼んでも良いもので、彼特有の柔軟性が差別主義の奥行きをダイナミックに深くする。そしてふたりを接着させる署長を演じるハレルソンによる強さと弱さも、いつまでも胸に残るものだ。

 …とシリアスなテーマがふんだんに盛り込まれながら、ふとした瞬間に笑いがスコーンと弾け飛ぶのがマクドノーの感性の強烈なところ。悲劇と喜劇が隣り合わせであることを強く意識。いや、悲劇を語るならば喜劇性を、喜劇を語るならば悲劇性を同時に浮上させなければ嘘になると信じている演出と言うのが正しい。灰色の道をどこまでも突き進む登場人物ふたりの最後のドライヴ。その車内で交わされる言葉に見える僅かな希望が、じわじわ胸に沁みる。





ブログパーツ

blogram投票ボタン

スポンサーサイト



テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Friends
福☆こもろ