スウィート17モンスター

スウィート17モンスター “The Edge of Seventeen”

監督:ケリー・フレモン・クレイグ

出演:ヘイリー・スタインフェルド、ヘイリー・ルー・リチャードソン、
   ブレイク・ジェナー、カイラ・セジウィック、ヘイデン・セットー、
   アレクサンダー・カルヴァート、エリック・キーンリーサイド

評価:★★★★




 「世の中にはふたつのタイプの人間がいる。自信に満ちた世渡り上手の者とその滅亡を願う者だ」。『スウィート17モンスター』のヒロイン、ネイディーンの考察だ。そう、彼女は難しく面倒臭い17歳の女の子だ。子どもの頃からの親友といるときだけが幸せで、それなのに彼女がハンサムな自分の兄貴(もちろんタイプで言うと、前者)と相思相愛になったものだから、己の世界が一気に崩壊してしまう。

 その世界は、実はムキになって守るほどのものではない。崩壊の後には、さらに大きな世界が広がり、そこには無限の可能性がある。けれど、そのことを少女に言葉で伝えてどうなるだろう。人は皆その過程で傷つき揉まれ、いつしかそれを乗り越えていくものだと、ある程度の経験を積んだ者なら分かる。そしてその境地には自分で辿り着くしかない。だから大人の観客はネイディーンの暴走が可笑しくて可笑しくて、でも切なくて…。

 ケリー・フレモン・クレイグが目指すのは若き日への郷愁なんかではない。自分を好きになれないという当たり前の感情は、何も思春期特有のそれでもなく、何歳になっても定期的に訪れる病のようなもので、それだからこそ人間は面白く、それだからこそ人を求め、それだからこそ人と繋がることができるのだと肩を叩いている。ネイディーンを通した捻りのあるエール。もしネイディーンの中に自分を見つけられない人がいるとするなら、とんでもなく幸せで、でも極めて退屈な人に違いない。

 ネイディーンの混乱を体現するのはヘイリー・スタインフェルドで、全く持って完璧な息遣いで突っ走る。ネイディーンは言わば自己憐憫に浸った状態だ。自己憐憫というものは映画のスピードを殺す厄介な感情ではあるものの、実のところ多かれ少なかれ誰もが具える心の揺れだ。スタインフェルドはこれを何ともまあ、ユーモラスかつあっけらかんと突きつける。自己憐憫により堕ちるところまで堕ちても、それでもなおしぶとい生命力を感じさせる。自己憐憫に浸ってもそれに酔うことのないまま上手に付き合う術を本能的に取得している。

 スタインフェルドは決してブスではないものの、太く短い鼻と意思的な眉毛と眼差しの影響で、正統派の美少女とは全く異なる。成長過程にある女の子特有の肉つきもダイナミックだ。口から出てくる言葉には棘があっても不快ではない。学校社会の端っこで必死にもがく様が、なんともハマっているのだ。注目したいのは下半身。なかなか立派な太腿で、でもミニスカートを履き続けるのが、強気でサイコー。個性的なスニーカーの数々も可愛い。

 ネイディーンの世界を取り巻く人々も皆面白い。ブレイク・ジェナー演じる兄貴は一見クールで、けれど彼もまた自分の世界の混乱に戸惑っている感が良く出ているし、ネイディーンの唯一の親友やネイディーンに思いを寄せる韓国系の少年もハートを持って問題に対処しようとするあたり、好感度が高い。けれどやっぱり、教師役のウッディ・ハレルソンが場をさらう。ネイディーンとの絶妙の距離感、これはもう役柄の描き込みもさることながら、ハレルソンの技が効いているということだろう。ネイディーンが事ある毎に教師にぼやくところ、抱腹絶倒は免れない。

 己の物事への勝利能力の限界を超えてしまったヒロインの姿は間違いなく滑稽だ。バカな行為に走るのを非難することも簡単だ。それなのにむしろ彼女に優しい言葉をかけたくなるのは、暴走で彼方此方にぶつかった際にできた傷が見過ごされないからだ。ネイディーンは傷から目を背けない。いや、背けそうになったところで踏み止まる。難しい局面で踏ん張った先にある何かが、彼女を優しく包み込む。そんな終幕にホッとする。





ブログパーツ

blogram投票ボタン

スポンサーサイト

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

blogram投票ボタン
blogram投票ボタン
人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Friends
福☆こもろ