マダム・フローレンス! 夢見るふたり

マダム・フローレンス! 夢見るふたり “Florence Foster Jenkins”

監督:スティーヴン・フリアーズ

出演:メリル・ストリープ、ヒュー・グラント、サイモン・ヘルバーグ、
   レベッカ・ファーガソン、ニナ・アリアンダ

評価:★★★




 メリル・ストリープの歌には「マンマ・ミーア!」(08年)「イントゥ・ザ・ウッズ」(14年)「幸せをつかむ歌」(15年)とことごとく酷い目に遭っているので、『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』にも警戒して臨まないわけにはいかない。ところが、これが悪くないのだ。ストリープが演じるのは知る人ぞ知るオペラ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンス。1940年代、親から受け継いだ莫大な遺産を音楽界へ注ぎ込む彼女の夢はソプラノ歌手になることだ。ただ、彼女はとんでもない音痴だった。

 任せて安心スティーヴン・フリアーズはストリープをオープニングとエンディングで天使として撮り上げる。空から舞い降りた天使が、人間として地上で大らかに歌い踊り、愛し愛され、しかし真実に打ちのめされ、けれど最後には再び天使として舞い上がる。ここで効いてくるのがストリープのパーソナリティだ。

 映画の外でのストリープの立ち居振る舞いを見ると確信するのだけれど、この人は本当に「良い人」だ。多くの人に支持される演技力に驕るところなど一切ない、おそらくは人格者に近い。その「良い人」の匂いは時に、愚鈍さに結びつくことがあり(演技力ではカヴァーできない部分だ)、演技が優等生のそれ以上でもそれ以下でもないという、(ある意味大根演技より)退屈なところにハマってしまう。今回のストリープはそれをむしろ利用する。いや、フリアーズが利用しているというべきか。音楽への天真爛漫な想いを掬い上げるのに、ストリープの濁りのない個性が完璧にフィットするのだ。

 だからヒロインの歌唱シーンは不思議な味わいが出る。本人だけが悪声であることに気づかず、周囲の人間は呆れるか怒るか大笑いするか。けれど、聞き続けていくうちに、妙な愛嬌が浮上してくるではないか。唖然とする音痴だったとしても、そのレコードは売れたという。嘲笑交じりの声援だけが理由ではないだろう。ストリープはそれを納得の方向に持ち込む。

 ただ、ジェンキンスは無垢な天使で、そのハートを維持し続ける存在でしかないので、物語が平坦になる危険がある。ゆえにフリアーズは周囲の人間を適度に掘り下げることを忘れない。ヒロイン専属のピアニストの物腰の柔らかさ。最初はコンサート中に大笑いしたセクシー美女の純な魂。ヒロインと絶妙な距離感を保つ夫の愛人。そしてそう、何時どんなときもヒロインを守り続ける夫の忠誠と愛情。いずれもヒロインに厚みを加える。

 とりわけヒュー・グラントが体現する夫の高く深い愛情には胸を揺さぶられるものがある。最初は愛人のいる軽薄な男にしか見えないものの、その身体の中には妻への果てしない想いが優雅に広がっている。めっきり老けたグラントが、しかし、これを大変魅力的に表現している。グラントが美しく掴まえる夫の魂こそが、物語の魂でもある。

 ストリープとグラントの後ろで、控え目に動くピアニストも良い味だ。サイモン・ヘルバーグが演じる。初めはヒロインの歌唱力に言葉を失い、次第に状況の変化に戸惑い、彼女を取り巻く世界の真実に気づいて感嘆し、いつしか同志として一緒に輝く男。可笑しな事態に直面する度にヘルバーグの顔が歪むのにニンマリする。ヘルバーグの視線が観客の視線に重なる効果も大きいだろう。

 フリアーズは音楽への愛情と戦争の影を巧みに交錯させる。絞め殺されている鳥のような声のストリープの、「どすこい」どころではない丸太のような胴体に、それを反射させる。だからカーネギーホールの一夜は奇跡になった。ほろ苦いヒロインの表情が見えても、その輝きは偽りない。それゆえのすっきりとした後味だ。





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