マッドマックス 怒りのデス・ロード

マッドマックス 怒りのデス・ロード “Mad Max: Fury Road”

監督:ジョージ・ミラー

出演:トム・ハーディ、シャーリズ・セロン、ニコラス・ホルト、
   ヒュー・キース=バーン、ロージー・ハンティントン=ホワイトリー、
   ライリー・キーオ、ゾーイ・クラヴィッツ、
   アビー・リー、コートニー・イートン

評価:★★★★




 例えば「ワイルド・スピード MEGA MAX」(11年)は荒唐無稽なアクションが見せ場になっていた。可笑しいのだ。そこまでやるかと唖然を誘う画が並んでいた。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のアクションはそれと似て非なるものだ。可笑しいのは同じでも、ここには狂気が溢れ返る。そして狂気こそが物語を突き刺し、それがそのまま軸となる。簡単に言えば、全てが狂っている。マッド(Mad)を名乗るに相応しい映画だ。

 人類が絶滅の危機に瀕した近未来。砂漠を装甲車が猛スピードで駆け抜けていく画が目に焼きつく。善玉と悪玉の追いかけっこという単純を極めるストーリーを突き破る速度と重量感が素晴らしい。装甲車の後には派手な砂埃が舞い上がる。生死を賭けたチェイスに宿る生命力の強さ(いや、しぶとさと言い換えた方が良いか)が頼もしいの何の。

 砂漠を駆ける装甲車を中心に置いたアクションの狂い方よ。方々から銃弾が撃ち込まれ、手榴弾が投げられ、炎が舞い上がり、槍を持ったヤツらが真上から降下し、空に伸びた長い棒の先に括りつけられた人間がしなりながら襲い掛かり、鎖が首を絞め…。敵は髑髏にとり憑かれている。バックに流れるロックミュージックは車に乗った巨大スピーカーから流れる。よよよ、良く見れば、車の上に立ちギターをかき鳴らしている男がいる。太鼓も生音だ。ナニソレ。

 ジョージ・ミラーは狂った世界を追求する。マックスが捕えられタイトルが出るまでに10分かからない。その直後から始まるカーチェイスは、ギアがトップに入ったまま一度も緩むことなく、一時間を迎える。観客は正気かと何度も呟きながら、気がつけばその世界観から逃れられない。それこそカーチェイスの冒頭、マックスが車のフロントに縛られたまま走らされるのと同じように、耳から決して離れないスコアを伴い、狂気が身体に浸透を始める。その快感に溺れるしかない。

 普通これだけ前のめりの画が続くと、抑揚のなさが退屈を誘うものなのに、ここにはそれがない。ミラーは抑揚を捨てる代わりに、世界観の隅々を徹底的に描く。そしてそれゆえ浮上する狂気のカタルシスに賭ける。狂気はギャグと紙一重だ。いや、ギャグを突き抜けて一周してしまったものが提示される。だから可笑しくも、狂い方が深い。

 性奴隷でしかない女たちが立ち上がる物語の中で、マックスは彼女たちを助ける役割を担う。トム・ハーディのタフな魅力が完全に活かされる。言葉はほとんど発しない。狂気の渦に放り込まれる肉体が、それに呑まれない。むしろ狂気の中で己を解放させていく。

 そして、女戦士フュリオサだ。丸刈りにしたシャーリズ・セロンの長い手足と加齢が表れ始めた表情が、狂気の世界を完成へと導く。実は彼女こそが本当の主人公だ。力でねじ伏せるしか能のない男たちに反旗を翻した女たちを統率、泥まみれ血塗れになりながら真実の強さを体現する。マックスとフィリオサの間に次第に通い始める同志的絆は、オアシスに咲く一輪の花のように美しい。価値観の数奇な転換を見せるニコラス・ホルトも含め、狂った中に、どこか崇高さが漂う。

 「マッドマックス」の世界観の生みの親でもあるミラーは、21世紀に入ってなお、アナログの魅力を信じる。もちろん視覚効果はたっぷり使われているだろう。けれど、生の画も想像以上に多いと察する。視覚効果の中ではどうしても肉体のスピードは殺されてしまうものだ。ハーディやセロン、ホルトらが灼けるような日差しに射られながら輝くのは、作り物の世界の中で息をしていないからだ。





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