セッション

セッション “Whiplash”

監督:デイミアン・チャゼル

出演:マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、ポール・ライザー、
   メリッサ・ブノワ、オースティン・ストウェル、ネイト・ラング

評価:★★★★




 滴る汗。飛び散る唾。矢継ぎ早に投げ掛けられる過激な言葉。舞い上がる血飛沫。朦朧たる意識。…まるでどこかの国のスポ根漫画のようだけれど、どっこい『セッション』は音楽映画だ。超のつく一流音楽学校の中でも最上位に位置するバンドに入った若きジャズドラマー、マイルズ・テラーが、身も心もボロボロになる。そこに音楽という言葉から連想する甘美な匂いは皆無だ。鬼教師J・K・シモンズがいるからだ。

 シモンズが演じる音楽教師の造形がとにかく強烈だ。音楽に厳しいなんてもんじゃない。自ら指揮を執って紡ぎ上げる音楽こそ己の命。その灯を消すことは許さない。消すくらいならばお前の命を奪ってくれる。その迫力で生徒たちにほんの僅かなミスも許さない。そのためには汚い言葉は当たり前。差別用語を叩きつけるように吐き出し、傍らにある固形物を放り投げ、張り手をお見舞いする。しかも、やり口がしつこい。その姿はまるで、生徒を挫折に導くことを生き甲斐にしているかのようだ。

 シモンズはもはや、ホラー映画の悪の化身に重なって見える。真っ青な眼。見事なツルッパゲ。大ぶりの鼻。尖った耳。縦にも横にも斜めにも入った深いしわ。黒いTシャツから覗く筋肉のついた二の腕。全身に浮かび上がる血管。話す度に、動く度に、画面に高電流が流れる。暗闇に浮かび上がるシモンズは本当にホラー映画のアイコンような描かれ方だ。シモンズはそれを身体の中に完璧に落とし込む。

 こういう作りだと、当然目立つのはシモンズになる。仕方がない。しかし対するテラー、よく食らいついたではないか。単純で行儀の良い青年ではない。のし上がる野心を隠さず、そのためには周りにあるものを次々斬り捨てる。恋人とはうまく行かず、友達もいない。そういう青年の唯一の真実である、音楽への剥き出しの愛情が、シモンズのそれと共鳴する。僅かに。僅かな部分をテラーは見誤らない。ゆえに彼はさらに苦しむ。

 音楽映画らしく音の切り取り方に芸がある。ドラムだけでなく、その他の楽器が奏でる音も丁寧に拾われる。一音一音が頭の中で響くのが分かる。それぞれの楽器の音色が絡み合う際の香りは格別だ。同時に生活音への気遣いもなされる。例えばシモンズが動くときに生じる何気ない音の一つひとつが、立派に音楽になっている。場面の多くが室内劇。そのために選ばれた黄色がかった照明が、音のありのままを照らし出す。

 別に行き過ぎた指導を糾弾する物語ではない。教師と生徒の関係の在り方を見つめた物語でもない。音楽愛を高らかに歌い上げる映画とも違う。ここにあるのは己の全てを賭ける男たちの本気の戦いだ。それは倫理観の中に綺麗に収まるものではない。譲れない何かを持った者たちの執念が得体の知れない怪物を生み出す。そこに正義も悪もない。それを証明するのがラストシーンとなる、カーネギーホールでのライヴだ。

 ライヴはシモンズがテラーを珍しく優しい言葉で誘い出すところから始まっていたのかもしれない。いよいよ幕が上がり演奏が始まるというとき、テラーはある事実を知り愕然とする。そう、これはある意味、シモンズがテラーへ仕掛ける最後のレッスンだ。怒りと共にそれを受け止めるテラーが、遂に覚醒する。仕掛けるシモンズ。仕掛け返すテラー。大舞台の前で驚愕のパフォーマンスが幕を開ける。10分弱にも及ぶ演奏の中で、物語が大きく動き、そして広がっていく。テラーは全身全霊を捧げ、シモンズはそれを目撃しほくそ笑む。デイミアン・チャゼル監督はこの画を撮りたかったに違いない。音と映像と編集の神業が、音楽の世界と人の道を突き破る快感を導き、画面をそれで満たしていく。





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