ゴーン・ガール

ゴーン・ガール “Gone Girl”

監督:デヴィッド・フィンチャー

出演:ベン・アフレック、ロザムンド・パイク、ニール・パトリック・ハリス、
   タイラー・ペリー、キム・ディケンズ、キャリー・クーン、
   パトリック・フュジット、デヴィッド・クレノン、リサ・ベインズ、
   ミッシー・パイル、スクート・マクネイリー

評価:★★★★




 「ドラゴン・タトゥーの女」(11年)で目覚めたのだろうか。デヴィッド・フィンチャー監督が再び、物語を語ることに重点を置いた映画を手掛ける。フィンチャーはこれまで、トリッキーだったり技を前面で主張したり映像のインパクトを狙ったり、映画自体の外観が特徴的な作品ばかりだった。『ゴーン・ガール』では物語を導くことに集中し、演出が煩くせり上がらない。いや、その必要がなかったというべきか。まあ、作品の温度が低いのはいつも通りだ。

 夫の母の介護のために都会から田舎へ引っ越してきた夫婦の、5年目の結婚記念日に事件は起こる。夫が帰宅すると家に争った跡があり、妻が行方不明だ。メディアを巻き込んだ警察の大々的な捜査が始まるものの、どういうわけだか、夫が犯人だとしか思えない証拠が次々出てくる。通俗小説の域を出ていないと言われても仕方がない話だ。

 おそらくフィンチャーは妻の人物造形に強烈に惹かれている。破綻した結婚生活に疲れ、言われなき暴力に慄き、そして消えてしまった哀れな妻。その真実の姿はしかし…。彼女が見せる両極端な表情の力で引っ張ると言っても過言ではない。「氷の微笑」(92年)のキャサリン・トラメルほどにがつがつしていない。「蜘蛛女」(93年)のモナ・デマルコフほどに奇怪でもない。妻エイミー・ダンはなるほど、その息遣いが耳の傍で聞こえるほどに俗物的かつ立体的なキャラクターとして描かれる。

 彼女はまるで、どんな結婚にでもつきまとう悪夢を体現したような存在だ。愛し合うだけでは成立しない結婚生活の難しさは、男女の、いや各々のズレに平然と潜む。夫ニック・ダンはそれに見て見ぬふりを決め込み、エイミーはそれを許さない。フィンチャーはそれを酷く冷静に見つめる。ゆえに可笑しい。シリアスな展開が続くのに、妙に滑稽だ。正しいアプローチだろう。筋だけを追いかけたら、思わず椅子から転げそうになるくらいに下衆な話ではないか。

 エイミーに扮したロザムンド・パイクが痛快に暴れ回る。眩しいブロンドを活かして着飾るパイクの印象は柔らかなものだ。それが中盤では釣り人のようなファッションをした疲れたおばさんの外観に変わり、しかし再び月の妖しさを湛えながら美しさを見せつける。イメージがどんどん変わる。万華鏡の華やかさと謎めいた匂いをまとい、映画を自分のものにする。

 力のある役者の地味な演技も良いけれど、こういう良質のスター演技こそが、大画面に映える。役柄に見合った均整の取れた身体と包み込むドレス、或いは取り囲む美術がいかに重要なものか。それを無視して俳優や映画を語るなんて、嘘っぱちも良いところだ。フィンチャーはそれを知っている人だ。生活感を感じさせながらもミステリアスなところのあるパイクの魅力を存分に引き出す。パイクも、そのために選ばれる度を越した過激描写を恐れない。

 夫役にベン・アフレックが選ばれたのも納得できる。この役柄は頭が切れるように見える俳優には無理だ。メディアから逃げるときのアフレックの走り方を見たとき、あぁ、アフレックで良かったのだと確信した。次から次へと降り注ぐ不条理な状況についていけないあたり、柄に合っている。

 それにしても、仕掛けた側に起こる予期せぬ出来事からの展開が可笑しいの何の。このまま自業自得の物語に堕ちていくのかという心配を吹き飛ばすヴァイタリティがユーモアに繋がる。フラッシュバックや伏線の落とし方、時制の操作等、フィンチャーはさりげなく凝っているものの、結局それを浮上させるための手段になっている。真面目を貫くのが正しい映画ではないと、当然承知なのだろう。





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