フューリー

フューリー “Fury”

監督:デヴィッド・エアー

出演:ブラッド・ピット、ローガン・ラーマン、シャイア・ラブーフ、
   マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル、ジェイソン・アイザックス、
   スコット・イーストウッド、ジム・パラック、ブラッド・ウィリアム・ヘンケ

評価:★★★




 『フューリー』とは主要登場人物5名が乗り込む戦車の名前だ。フューリー(fury)には憤怒・激怒の意味がある。フューリーは1945年4月、終戦が近づくドイツの田舎を行く。つくづく思うのは、戦車が戦争という背景に実によく溶けるということだ。甲羅のように頑丈に固めた外壁や長く突き出た主砲もさることながら、いくつもの車輪を鎖のように繋いだキャタピラ部分が戦争を象徴する。険しい道も道とは言えない場所も怯むことなく進む。踏みつけるのは草であり石であり建物であり、そして人だ。何とも嫌な匂いがキャタピラから放たれる。

 戦いの描写は残酷だ。ブラッド・ピット演じるリーダーは言う。理想は平和だが、現実は残酷だ。それを証明するかのような画が続く。笑っていた者の胸が次の瞬間呆気なく射抜かれ、瞬く間に火だるまになった者は苦痛から逃れようと自らの頭を撃ち抜く。人が人でいることを許されない空間が広がる。

 兵士たちはまともではいられない。極限下に置かれ続けることで精神は疲労するしかない。間違えて配属されたローガン・ラーマン以外の4名はいずれも癖が強く、それはおそらく戦争が彼らをそう変えただろう。仲間を一人亡くした場面から始まるのが巧い。不快な言動の数々に戦争が反映される。ラーマンはそれに染まるまいとしながら、しかし変わらざるを得ない。

 これを単純に成長と呼んで良いのだろうか。そう思わせるところが面白い。ラーマンは間違いなくタフになる。一発の銃弾に怯えていた若者が仲間の肉体的・精神的窮地を救うまでになる。けれど、彼はかけがえのない何かをなくしてしまったようにも見える。ラーマンの若々しい身体が、無意識のままにその現実に苦悩する様がいちばんの見ものだ。ピットや他の俳優たちもラーマンを信じ、思い切って自身を戦火に投げ込む。

 ところが終幕、戦車が壊れた状態で300人のドイツ兵が迫りくるというとき、ピットは戦車を指しながらこんなことを言うのだ。「ここは俺の家だ」。これは全く、不要なセリフだ。戦車という密閉空間ゆえに仲間との距離感が近くなることは容易に想像できるものの、だからと言って突然ちょっと良い話風にまとめるのが解せない。そこでしか生きられないというのではない。別の選択肢はあった。敢えてその場所を選ぶピットやそれに続く者たちの背後に「絆」なんて言葉がちらつく。しかもそれは、感傷と仲良しこよしだ。

 このとき突然、それまで立体的に見えていた戦争が平面的なものへと押し潰される。フューリーがまとっていた戦争の化け物的おぞましさが、記号化されてしまう物足りなさ。それはつまり、登場人物が戦争という得体の知れないものから解放されることを意味する。途中立ち寄った町で、兵士たちが食事をする際の狂気はどこに行ってしまったのだろう。





ブログパーツ

blogram投票ボタン

スポンサーサイト

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

blogram投票ボタン
blogram投票ボタン
人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Friends
福☆こもろ