アデル、ブルーは熱い色

アデル、ブルーは熱い色 “La vie d'Adèle - Chapitres 1 et 2”

監督:アブデラティフ・ケシシュ

出演:アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥー、
   サリム・ケシュシュ、モナ・ヴァルラヴェン、ジェレミー・ラウールト、
   アルマ・ホドロフスキー、バンジャマン・シクスー

評価:★★★★




 上映時間が3時間にも及ぶというのに、全く退屈しないのに驚く。特別斬新なメッセージが提示されるわけでも、トリッキーな仕掛けが用意されるわけでもない。それにも関わらず『アデル、ブルーは熱い色』から一瞬たりとも目が離せないのは、人間という生き物の本能が、美醜そのまま映像化されているからだ。これはほとんど画期的と言っても良いのではないか。

 映画という芸術はカメラを通して創造される芸術で、しかもそこに脚本やら編集、演技が入ってきて、どれだけ良くできた作品でも、フィルターを通して観ることを強いられるものだ。それがこの映画には、ない。正確にはないように見える。自分の肉眼だけでアデルとエマというふたりの女が生み落とした愛と呼ばれるものの生と死を目撃しているような、そういう匂いが極めて濃い。ふたりの傍でありのままの愛を見る。

 すると、普段は見えていない愛の美醜が鮮明になる。そもそも愛を美化することには興味のない作りだ。愛するがゆえの楽しさも苦しさも快感も不愉快さも一緒くたに放り込まれる。生活と密着したそれが、次々表情を変え、それゆえに浮上する躍動感が放つ中毒性が凄まじい。

 アデルとエマが交錯する前から、その予感はあった。何て言うことのない生活風景に目が釘付けになるからだ。いつも口が半開きになったアデルの顔。決して上品とは言い難い食べ方。寝る際の涎が流れているに違いない間抜けな姿。日常レヴェルで存在する肉体の火照り。突然流れる涙。装飾のない空間から匂い立つ生々しさが、ある種の緊張感を生み出している。とりわけ食事場面が何度も出てくるのが印象的だ。

 けれど、身を乗り出すのは遂にアデルとエマの人生が交錯してからだ。街中で擦れ違うとき、何かと何かが引き寄せ合う磁力の存在を互いが確信してから、その強弱が実にドラマティックに綴られる。単純な会話だけでも十分それに魅せられるものの、やはりセックスシーンを避けては通れない。魂を宿らせた肉体と肉体が欲し合う様が、女と女ならではのあの手この手の体位を駆使して描写される。初めて身体を重ねるときの長尺場面などほとんど神がかったものがあり、思わず涙腺を刺激されるほどだ。

 女優ふたりが思い切った演技だ。まだ自我が確立していない魂を体現するアデル・エグザルコプロスととろんとした離れ目で我が道を行くレア・セドゥー。どちらも通常なら他人には一生見せないだろう場所を解放する演技だ。若い命が織りなす恋愛は瑞々しく描写されるものだけれど、ここにはその形容は当てはまらない。愛すれば当たり前のように浮上する息苦しさが、女優ふたりの肉体を通じて醜くも咲き乱れるのだ。

 愛は終わりを告げる。アデルとエマの胸の痛みが臨場感と共に迫る。哀しくて辛くて、消えてしまいたい。けれどそれでもなお、肉体と魂を与えられ、この世に生きていることに感謝したくなる、不思議な余韻がある。アブデラティフ・ケシシュ監督が目指したところも、きっとそこにあるのではないか。





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