泥棒は幸せのはじまり

泥棒は幸せのはじまり “Identity Thief”

監督:セス・ゴードン

出演:ジェイソン・ベイトマン、メリッサ・マッカーシー、ジョン・ファヴロー、
   アマンダ・ピート、ティップ・“T.I.”・ハリス、ジェネシス・ロドリゲス、
   モリス・チェスナット、ジョン・チョウ、ロバート・パトリック

評価:★★




 デブに関する考察がたっぷり。デブは何でも大袈裟になる。化粧も、洋服の柄もデザインも、身につけるアクセサリーも大袈裟になる。しかも、意外に少女趣味だ。花柄に吸い寄せられたり、リボンを好んだり、ピンクに囲まれたり、もう一歩でメルヘンの世界。さらには自己愛も強めだ。部屋に肖像画を飾ることもある。もちろんくだらない偏見に満ちている。

 笑いの性質をよく表す例を挙げる。クレジット・カードのID泥棒がきっかけで知り合ったジェイソン・ベイトマンとメリッサ・マッカーシーが野宿することになり、焚き火を囲んで横になっている。ちょっとしたキャンプ。すると足元から巨大なヘビが登場、ベイトマンのズボンの中へ侵入する。悲鳴を上げてパンツ一丁になるベイトマン。しかし、ヘビは気がつけば首元に巻きついているではないか。ベイトマンに撃退を頼まれたマッカーシーは、火つき棒により追い払おうとするも、途中からパニックになる。火がヘビもベイトマンも直撃、悲惨な状態で朝を迎えることになる。

 『泥棒は幸せのはじまり』にはこの手のスラップスティックな笑いが散りばめられている。それしかないとも言える。そして、その燃料となるのが、マッカシーの巨体であることは疑いようがない。断わるまでもなく、マッカーシーは太い。身も蓋もない言い方をするなら、デブだ。デブが身体を揺らしてドタバタする画は、往々にして滑稽さを生むものだ。

 これは際どい。笑わせるのではなく笑われるのを目指していると取られかねないからだ。デブを笑い者にしようという意地悪な気配が、どことなく漂う。もちろんマッカーシーはそれを承知の上で、身体を張る。巨体は自身の武器だと確信している。森三中が尻を見せて笑いを取る捨て身さに通じるものがある。

 問題はむしろ、作り手の立ち位置だ。そういう笑わせ方を選びながら、デブに対して「正義心」をちらつかせるのだ。マッカーシーは行く先々で偏見を受ける。ショッピング中も食事中も、浴びる視線には彼女を蔑んだものが感じられる。もちろんそんな態度は卑しいことだ。けれど、デブはそうである限り、それに耐えなければならない。「おいオマエたち、我が身を省みるが良い」と説く。

 その上、役柄の背景に孤独を見つける。本当の両親を知らず、里親の元を転々とし、気がつけば他人のIDを盗んで生きる詐欺師になっていた女。彼女へ同情を寄せ、哀れみの眼差しを向け、本当は心根の優しい女だと気遣うのだ。

 つまり、彼女の肉体を使って笑わせながら、その一方でデブもひとりの人間であり平等であるべきだと正論を掲げる。その中途半端さが笑いの不発を生む。正確には笑えたとしても、どこか居心地の悪さを感じさせる。マッカーシーが冒頭に浴びる言葉、「彼らはあんたにたかっているだけさ。友達はいないだろう」が、偽善という名の装飾を受けて、嫌な後味を残す。

 要するに、開き直りが足りない。デブに過剰なシンパシーを寄せる必要はない。その過去に悲劇的な要素を組み込む必要はない。わざわざ世の中に蔓延る偽善を暴くのであれば、己のそれを認める必要がある。良くも悪くもマッカーシー頼みの作り。マッカシーの役柄を他の喜劇女優が演じたとしても面白いところにまで練り上げて初めて、心からの笑いになる内容だろう。

 終幕でプロの手によりドレスアップする場面のマッカーシーには驚く。もちろんデブのままではあるものの、美しいデブに変身して現れるからだ。ドレスがデブご用達の黒色なのはつまらないものの、シックな大人の女に見える。マッカシーはレベル・ウィルソンのように可愛らしいタイプのデブではないから、こういう大人の女路線で魅せるのが正解なのだろう。





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