グランド・イリュージョン

グランド・イリュージョン “Now You See Me”

監督:ルイ・レテリエ

出演:ジェシー・アイゼンバーグ、マーク・ラファロ、ウッディ・ハレルソン、
   メラニー・ロラン、アイラ・フィッシャー、デイヴ・フランコ、コモン、
   マイケル・ケイン、モーガン・フリーマン、マイケル・ケリー

評価:★




 手品やマジックという呼称はピンと来ない。イリュージョンこそ似つかわしい。プリンセス天功あたりがやりそうなステージ映えする演目は、一見映画と相性が良さそうだ。大掛かりな美術。プログラムに合わせた衣装。てきぱき動く怪しげなアシスタント。観客を引き込む話術。ダイナミックに鳴り響く音楽。それらが大きな画面の中で合体する。忘年会で近所のオッサンが披露する余興とはスケールが違う。『グランド・イリュージョン』ではラスヴェガスやニューオーリンズ、ニューヨークが街ごとパフォーマンスの舞台になる。あぁ、きっと華麗なる世界が広がる。作り手がそう思い込んだとしても不思議ではない。

 しかしルイ・レテリエは、派手に魅せることだけに意識を集中させる愚を犯す。これは映画だ。当然そのパフォーマンスには映画的装飾が施される。縦横無尽に動き回るカメラワークやハイスピードをキープする編集。伏線らしきものの仄めかし。登場人物の不可解な行動。クローズアップの多用。謎を散りばめた軸となる物語。パフォーマンスの最中でも装飾は途切れない。もちろんそれは悪いことではない。むしろ必要だ。ただ、イリュージョンという題材においては、見せる見せないの選択は非常に重要な意味を持つ。生で目撃する観客ではないのだ。相当デリケートに画面を作らなければ、作り手の都合の良いものしか提示されないフラストレーションが溜まる。その罠にまんまとハマる。

 例えばラスヴェガスにいながらにしてパリの銀行に眠る大金を盗み出すというイリュージョン。見ている間は快感を感じる。勢い命とばかりにガンガン攻める。これぞイリュージョンと言いたくなる華やかなるパフォーマンスが、力強いビートに乗せて舞い上がる。しかし、その種が明かされると、夢はアッという間に散っていく。知らなくても良いものだからではない。十分に練られた種でないからではない。快感の正体が、装飾に誤魔化された中身のないものだと知れてしまうからだ。

 おそらく描かれるパフォーマンスを生で目撃したならば、それはそれは興奮するだろう。その夜は眠れないかもしれない。ところがこれは映画ゆえ、その裏側まで描かなければならなくなる。パフォーマンスの都合の良いところだけを見せられた上、しかもパフォーマンスの飾りの奥の空虚さにまで気づかされると、映像を凝ればどうにでもなるという身も蓋もない結論に落ち着くのだ。パフォーマンスは次々投下され、けれど全てが胡散臭い。CGだらけの偽物アクション映画を思い出す。

 これだから映画自体をイリュージョンのように魅せることにも失敗する。いちばんの要因はミスディレクションとどんでん返しを混同してしまったことだ。観客の裏をかくことに躍起になるあまり、不自然などんでん返しをミスディレクションと言い訳しながら畳み掛ける繰り返しに終始する。画面に映るものの全てが信じられない虚しさよ。これは語りを放棄しているのと同じだ。つまらないSF映画でも見せられている気分になる。

 せめて登場人物の個性を活かしたイリュージョンになっていたなら、まだ見られたかもしれない。スライハンドの達人や脱出マジックのアーティスト、メンタリストらが集まる割りに、彼らならではの技がイリュージョンにちっとも組み込まれない。メンタリストの催眠術は大きな意味を持つものの、むしろ何でもありの匂いを濃くするだけだ。最後に明かされる事実が誘う脱力が全てを象徴する。イリュージョンを映像として魅せるのは、本当はとても難しいことなのだ。





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