マン・オブ・スティール

マン・オブ・スティール “Man of Steel”

監督:ザック・スナイダー

出演:ヘンリー・カヴィル、エイミー・アダムス、マイケル・シャノン、
   ケヴィン・コスナー、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、
   ラッセル・クロウ、アイェット・ゾラー、アンチュ・トラウェ、
   クリストファー・メローニ、ハリー・レニックス、リチャード・シフ、
   ディラン・スプレイベリー、クーパー・ティンバーライン

評価:★★★




 政治や芸術、娯楽に宗教が複雑に絡み合う今という時代、もはや単純なヒーローは求められていないのかもしれない。超人的な力を持つ者が弱き者を迷いなく助ける構図は、滑稽な匂いすら漂う。…となると、スーパーマンは分が悪い。スーパーマンこそ勧善懲悪の世界で輝いてきたスーパーヒーローだからだ。斯くしてザック・スナイダーは、宇宙から来たヒーローの神話を解体する。

 スーパーマンを異星人として見る眼差しが揺るがない。精神的には地球人でありながら、その力は宇宙規模のものだ。アメリカのシンボルであるスーパーマンを異星人として凝視することで、広い宇宙の小さな惑星のひとつにしか過ぎない地球に彼が存在する意味を探ったのが『マン・オブ・スティール』だ。

 …そんなわけでクラーク・ケント=スーパーマンは常に苦悩の表情を浮かべている。笑顔を見せるショットは極僅か。スーパーマンの最大の悩みはアイデンティティーの問題だ。望んだわけでもないのに特殊能力を持ち、それを隠して生きることを強いられ、人助けに走れば好奇の目に晒される。物語としては苦悩する青年の決意を描いたオペラのようだ。

 スナイダーは生みの親、育ての親の存在を重要視する。生みの父ジョー=エルが息子にその使命を説き、育ての父ジョナサンが地球で生きていくことを教え、育ての母マーサがそれゆえ苦しむ息子を海を思わせる愛で包み込む。ラッセル・クロウ、ケヴィン・コスナー、そしてダイアン・レインが起用された意味はここにある。家族の想いがスーパーマンの細胞を形成している。スーパーマンが初めて怒りを露にするのが、母を脅したからというのが象徴的だ。

 けれどスナイダーが最も喜んで演出しているのが、アクション場面であることは間違いない。後半たっぷりこってり用意されたアクションシークエンスでは、メトロポリスが壊滅的な被害を受ける。派手に割れるガラス。ぺしゃんこになる車。崩れる高層ビル。逃げ惑うことしかできない人々。ほとんどやり過ぎじゃないかと思えるくどさこそ、スナイダー印。そしてこれこそが、異星人スーパーマンと異星人ゾッド将軍が対決するときのスナイダーの答えなのだろう。ヒーローの現実は、血と暴力を避けて通ることはできない。その一方、クリプトン星での戦いは既視感と視覚効果の羅列により味気なく感じられる。

 スーパーマンが手錠を掛けられたり、地球人から攻撃を受ける件もさることながら、ゾッド将軍との対決で下されるぎりぎりの決断にギョッとする。おそらくこれまでのスーパーマン映画では描かれてこなかったと思われる選択。まさかスーパーマンが…。しかしその後のスーパーマンの姿を見ると、それが新たな苦悩に繋がっていくように思えて、すとんと腑に落ちる。むしろあれだけの大破壊、払われた犠牲の方が(狙い通りとは言え)気になるか(ただし、残酷な場面は上手に隠される。人的被害はほとんどなかったと都合良く思った方が幸せ。現実志向の世界ゆえ無理があるが…)。

 新星スーパーマンは、その速さと重さが気持ち良い。一秒もない絶妙のタメの後の超高速。けれどそこには超人に相応しい重さがあり、アクションのいちいちがその装飾を受けることで、爽快感が宿る。マントのはためきが美しく、空中に浮かんでいるときに感じさせる重力も逞しい。スナイダーはそうして目に焼きつくヴィジュアルを連発。グラフィックノベルの大きなカットとして出てきそうなものばかりで、カッコイイ。もちろん新星スーパーマン、ヘンリー・カヴィルの清々しいマスクと美しい肢体があればこそだ。





ブログパーツ

blogram投票ボタン

スポンサーサイト



テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

Author:Yoshi
Planet Board(掲示板)

旧FILM PLANET

OSCAR PLANET




since April 4, 2000

バナー
FILM PLANET バナー

人気ページ<月別>
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Friends
福☆こもろ