ペネロペ・クルス
当時は全然意識しなかったけれど、現在飛ぶ鳥落とす勢いのペネロペ・クルスの映画デビュー作は『ハモンハモン』(92年)だったのだという。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したこの映画でクルスは、後の夫となるハヴィエル・バルデムとあまりにも濃厚なラヴシーンを見せつけた。獣同士が貪るセックスと言うか何と言うか。お互いに欲しくてたまらない興奮状態に行き着くまでが早くて、その爆発力が、あぁ、なんともまあスペイン…。さすがマタドールの国だ。フラメンコの国だ。映画デビュー作でこんなラヴシーンをやってのけるとは、アッパレではないか。
もちろん映画界はアッという間に注目したけれど、クルスはすぐに世界進出しなかった。スペインで演技力を磨くことを選んだ。そのキャリアの中でもペドロ・アルモドヴァルとの出会いは重要な意味を持つ。『ライブ・フレッシュ』(97年)『オール・アバウト・マイ・マザー』(98年)の連続出演、そして高評価は、いよいよクルスの美貌と実力を世に知らしめる。クルス本人もひょっとするとある種の達成感を感じたのかもしれない。遂に世界を目指す。行き先はもちろん、映画の都ハリウッドだ。
『ハイロー・カントリー』(98年)を経て作られたのが『ウーマン・オン・トップ』(00年)で、これこそ紛れもなくクルスのハリウッド初主演作だ。いつでもどこでも自分(女)が上位にいないと気が済まないシェフの役。なかなか愛らしかったのだけれど、作品がこじんまりまとまってしまったからか、批評的にも興行的にもクルスをハリウッドブレイクへと導くことはできなかった。そしてこの最初のつまずきが、しばらくクルスのキャリアに影を落とすことになる。「ビッグスターの相手役」という特に演技力を必要とされない役柄での起用が続いてしまったのだ。
もちろん映画界はアッという間に注目したけれど、クルスはすぐに世界進出しなかった。スペインで演技力を磨くことを選んだ。そのキャリアの中でもペドロ・アルモドヴァルとの出会いは重要な意味を持つ。『ライブ・フレッシュ』(97年)『オール・アバウト・マイ・マザー』(98年)の連続出演、そして高評価は、いよいよクルスの美貌と実力を世に知らしめる。クルス本人もひょっとするとある種の達成感を感じたのかもしれない。遂に世界を目指す。行き先はもちろん、映画の都ハリウッドだ。
『ハイロー・カントリー』(98年)を経て作られたのが『ウーマン・オン・トップ』(00年)で、これこそ紛れもなくクルスのハリウッド初主演作だ。いつでもどこでも自分(女)が上位にいないと気が済まないシェフの役。なかなか愛らしかったのだけれど、作品がこじんまりまとまってしまったからか、批評的にも興行的にもクルスをハリウッドブレイクへと導くことはできなかった。そしてこの最初のつまずきが、しばらくクルスのキャリアに影を落とすことになる。「ビッグスターの相手役」という特に演技力を必要とされない役柄での起用が続いてしまったのだ。
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